こつぶ

吹いたら飛んでくような小さなひらめきを書いています

「感じ」るだけ

 私の母は作家でしたが、母は作家時代を振り返ってか、「感じ」というものの重要さを私に説きました。

 「感じ」というのは直感とも言い換えられましょう。人間の気持ちを探るとき、政治の諸々に頭を巡らせるとき、自分の不安に向き合う時、やはり「感じ」が重要なんだということでした。つまり、そういう「感じ」がするらしかったのだそうです。私は同意しました。

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 これを我が身に鑑みて考えますと、最近の私の身の回りはどうもイヤな「感じ」がいたします。イヤといってもフワッとしすぎていますから、頑張って言い換えますと、なんでしょう、空虚な感じ、中途半端な感じ、おざなりな感じ、ということになりましょうか。なんといってもこの「感じ」は表しがたく、しかしながら確かにそこにあるのだという不気味さがあります。さっき袋に気絶させて入れておいたゴキブリを、ゴミ箱に入れて蓋をしたような、後味の悪い、薄気味の悪い嫌悪感があるのです。

 

 私は、ここから当面、この「感じ」に向き合い、これを可能な限り、いくら冗長となろうとも、いくら回りくどくとも、言語化することに努めようと決心いたしました。それが、このブログの存在理由といいますか、それを設立理由という形といたします。後付けです。

 

 ゴミ箱のゴキブリは、皆さんはどうしておいででしょうか。3分たてば忘れられるでしょうか。お昼を食べれば気持ちも晴ればれ、活力も湧いてきて、お空も晴ればれ、気持ちもスッキリ、あのゴキブリのことは綺麗サッパリとなるのでしょうか。

 私には、どうも、このゴキブリを無視することができないようです。